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進出事例

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色とりどりの絹糸を巧みに操り、美しく華やかな紋様に織り上げていく西陣織。飛鳥時代から始まったと伝えられ、京都を代表する伝統工芸品のひとつだ。しかし、日本人の生活様式の変化による需要低迷や後継者不足などから、産地では苦しい状態が続くという。 そんななか、海外市場に目を向け、西陣織を守ろうと奔走する会社がある。西陣で機屋(はたや/織り専門工場)を営む「岡本織物」。3年ほど前から西陣織を使った自社オリジナルのバッグなどを製作・販売し、新市場の開拓を模索していたが、中小機構のアドバイザーとの出会いを機に、海外進出を決意。そして2017年1月に、海外ビジネス戦略推進支援事業を活用してフィンランドで現地調査を行い、ヨーロッパ市場の開拓に向けて大きな手応えを得たという。 同社の取り組みを聞こうと、4代目社長で伝統工芸士の岡本圭司さんと、デザインを担当する絵麻さんご夫妻を訪ねた。 【インタビュー・執筆 青山まりこ(株式会社トランジット)】

静岡県が全国トップの生産量を誇る地場産業の茶。1948年創業の「おさだ製茶」は、上級茶の産地として名高い周智郡森町に本社を構え、契約農家から仕入れた荒茶(生茶葉をある程度乾燥させた半製品。市場での取引は生茶葉ではなく、荒茶の状態で行われている)を加工して、全国の小売に卸したり、自社ブランドの販売を行ったりする製茶問屋を営んでいる。 近年は、強みである有機栽培茶を柱とした海外輸出にも注力。すでにアジア諸国を中心に進出しているが、食の安全・安心に対する意識が高いヨーロッパでの販路拡大の可能性を探るべく、2016年度の中小機構の海外ビジネス戦略推進支援事業を活用してドイツを訪問、現地調査を行った。ドイツでの現地調査委を機に、海外展開に対する挑戦意欲はさらに高まり、新たな取り組みを進めているという。同社の3代目として入社し、現在は専務取締役を務める長田夏海さんに話を聞いた。 【インタビュー・執筆 青山まりこ(株式会社トランジット)】

オリジナル商品で存在感を発揮する葛飾区の玩具メーカー おもちゃ産業のまちとして知られる東京都葛飾区。今でも日本を代表する玩具メーカーが立地しているが、オビツ製作所もその一つ。フィギュア、ドール分野で、愛好家の間で有名な企業である。同社が扱うのは主にソフトビニール製の人形で、キューピー人形やアニメキャラクターのフィギュアなど、様々な種類のフィギュア、ドールをOEM生産している。そのほか、同社のオリジナル商品として、オビツボディ、オビツキューピーなどを製造販売しており、精巧な作りとカスタマイズの容易さが愛好家の間では熱烈な支持を集めている。

OEMメーカーから自社ブランド生産へ 山形県は国内有数のニット産地で、1952年に創業した米富繊維株式会社もローゲージに特化したニット製品を生産している。中でも同社が得意とするのは、業界用語で『交編』と呼ばれる、複数の繊維を混ぜて編みたてる技術で、同社の特徴ともいえる異なる糸や素材を組み合わせたオリジナル性の高いデザインへと活かされている。 もともと同社は、アパレルメーカーのブランド製品を生産するOEMメーカーであったが、この技術の開発に力を入れ、30年ほど前には前社長の発案で『テキスタイル開発室』を開設している。これまでに蓄積されたテキスタイルの点数は1万点以上にも及び、その上、職人の手によって編機を動かすノウハウが蓄積された結果、複雑なデザインであっても量産が可能となっており、それが同社の強みとなっている。

食肉加工品の独自開発で食肉業界を生き抜く シェフミートチグサの前身は、現代表取締役である鴨狩 弘氏の父親 友允氏が1964年に千葉市花見川区に創業した「千種精肉店」である。創業当初は、個人商店として食肉の小売りが中心であったが、次第に業務用卸の割合を増やし、1996年には現社名の有限会社を設立して食肉加工品の製造を開始、2003年に株式会社に改組して現在に至っている。 価格競争の激化など、経営環境が厳しさを増す中、同社はこれまで自社ブランドの開発に力を入れてきた。2008年には千葉県の経営革新計画の承認と地域産業資源活用計画の認定を立て続けに受け、2015年には千葉大学発ベンチャー企業との連携による新商品開発に取り組むなど、精力的に製品の多様化と高付加価値化に取り組んでいる。なお、現在は弘氏の長男の大和氏(専務取締役)が弘氏の片腕として商品開発、海外事業を中心に活躍している。

創業から銀座で半世紀弱の歴史を持つ理容店 理容店の銀座マツナガは、1968年7月、同社社長である松永 巳喜男氏が27歳の時に東京の銀座中央通りに開業したことに始まる。「お客様と感動を」を経営理念とし、理容サービスの内容は、一般的な理容店と同じくヘアカット、シャンプー、蒸しタオル、シェービング、マッサージとシンプルながらも、お客様目線での丁寧な施術で、現在、従業員数95名、店舗数では、銀座、八重洲、日本橋、新橋、浅草、新宿の他、海外の姉妹店含め約20店舗を展開する理容店へと成長している。 理容業は、元々個人経営の店が多い業界であるが、経営者の高齢化や後継者の減少、規制緩和による男性の美容室利用の増加、ヘアスタイルの多様化による若年層を中心とした理容店離れなどにより、1985年の14万4,939店舗をピークに店舗数を大きく減らしている。理容師の成り手も減少しており、文部科学省が毎年行っている学校基本調査によると、1986年には3,362名だった理容学校卒業生は、2016年には664名となっており、この30年の間に約5分の1にまで減っている。 同社はこうした中で、有限会社として法人化し、需要の旺盛な都心部を中心に店舗展開を図るとともに、これまで松永社長の下から独立した弟子たちの店も含めて毎年60名近くの新人理容師を採用・育成しながら営業している。

北海道で40年近くの歴史をもつ老舗ベーカリーの事業を引き継ぐ ブルクベーカリーは、1977年、北海道江別市で、パン職人だった竹村克英氏が、本格的なドイツパンを製造・販売する店として開いたのが始まりで、その後、1986年に社屋および本店を札幌市中央区円山に移した。防腐剤や着色料などの添加物を使わず、北海道産のオリジナルブレンドの小麦粉を用いて、工程のほとんどを機械に頼らずに手作業で作り上げていくパンは、多くの札幌市民に愛され、根強いファンを持つ。現在は、札幌駅前のデパートにも売り場を構えるなど、市内で5店舗を展開している。 順調に事業を拡大し、多くの弟子を育ててきた竹村氏であったが、年齢が70歳を超えた頃から、次第に自分の引き際を考えるようになった。しかし、自分には後継者がいない。育ててきた弟子たちは、技術はあるが経営のノウハウがない。考えた末、店を閉めて、自社が持つ本店の土地・建物を処分することを決意した。その際に知人に紹介されたのが、札幌市内で不動産業を営み、現在のブルクベーカリーの社長を務める丹山東吉氏である。

こだわりの弁当・惣菜でチェーンを展開 持ち帰り弁当や定食屋レストランを運営するアイチフーズは、1981年に、現社長である森谷明弘氏が札幌市で設立した。当初は、全国チェーンのフランチャイジー(加盟店)として、寿司や弁当、おにぎりなどのテイクアウト店を運営していたが、チェーン本部が弱体化してきたため、約3年で脱退。その後は、蓄積したノウハウをもとに、自社ブランドの立ち上げや買収などで、持ち帰り・宅配弁当チェーン「ベントス」、和食レストラン「定食屋ジンベイ」や蕎麦処「はまなす」など次々と新たなブランドを展開し、事業を拡大。現在は北海道内を中心に直営とフランチャイズで約35店舗を展開・運営している。

東京の下町にて親子で営む畳店 森田畳店は1934年の創業以来、東京都荒川区で親子3代にわたって事業を営んできた畳屋である。 畳というのは、おおまかにいうと、芯にあたる「畳床(たたみどこ)」、表面に貼り付ける「畳表(たたみおもて)」、縁につける「畳縁(たたみぶち)」から構成される。この畳は、新築あるいはリフォームの際に、建物の寸法に合わせて新しく作られた後、色あせや傷みが出てきたらすぐに交換するのではなく、畳表を裏返す「裏返し」、畳表そのものを交換する「表替え」を行い、畳床が傷んではじめて「新調」するという過程をたどる。こうした畳の寿命に合わせて、工務店や一般家庭などからの注文に応じて作業を行うのが、畳屋の仕事である。 森田畳店では、二代目の森田精一氏とその息子の隆志氏と通いの職人の合計3名で、採寸、畳床のカット、畳縁の縫い合わせ、敷きこみといった作業を分担して行っている。手作業が多いため、一日に仕上げられる数には限界があるので、大規模な仕事を請け負った時は、地元荒川区の組合加盟の畳屋に協力してもらったり、逆に仲間が多忙な時には助人に入ったりと、地域内で助け合いながら事業を営んでいる。

海外9拠点、全て独自資本で進出 電子部品と半導体向けに絶縁材料と導電材料を製造するナミックスは、海外に9カ所の販売・生産・開発拠点を持ち、積極的に海外展開を進めている。現在、米国と欧州、シンガポール、韓国、中国、台湾に販売拠点を、中国と台湾に生産拠点を、米国に開発拠点をそれぞれ有する。いずれも「意思決定を迅速化する」(小田嶋寿信社長)ため、全額出資で進出している。 2001年3月期の売上高は130億円で海外売上高比率は31%だったが、10年3月期に国内と海外の売上高比率が逆転した。15年3月期の売上高は250億円で海外売上高比率は71%と海外展開を加速している

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