ミャンマー 現地レポート

微笑みの国、ミャンマー

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ミャンマー人の国民性の理由

さて、ここからは、上述のミャンマー人の国民性の理由について考えたい。まず、国土の半分を占める広い平地部で、米を中心とした食糧生産に適した土地に恵まれてきたことで、歴史的に、民族内の土地の奪い合いのための戦いが少なかったことを挙げたい。例えば現在でも、ミャンマーは、隣国タイとほぼ同レベル(2千5百万トン前後)の米を生産しているが、機械化が大幅に遅れ、また、統計によると、耕地単位面積当たりの肥料の使用は、タイの2割未満であるにも拘らず、単位面積当たりの米収量は、タイより3割多い由である。そういった、飢える不安が殆ど無かったという基盤の上で、各王朝の庇護により仏教が広まり、篤く信じられてきたことが、ミャンマーの人達の優しさと微笑みを支え続けてきていると考える。

写真は、ミャンマーを象徴する黄金の建造物「シュウェダゴン・パゴダ」。最大都市ヤンゴン中心部の丘の上にそびえる、全面に金を貼られた、高さ100mの仏塔である。また、11~13世紀に栄えた古都パガンには、3千もの仏塔が残って、引き続き信仰の対象となっている。ミャンマーの数え切れない仏塔や寺院は、王様が、自分の来世だけのために庶民に過酷な強制労働をさせて作ったのではなく、むしろ、庶民が、信仰心に基づき、お金や労力を進んで提供して作り続けてきた。現在でも、庶民の寄進が仏塔や寺院といた仏教施設を維持し続け、約50万人の僧侶達の修行を支え続けている。

ミャンマー人の9割が篤く信じる仏教は、(孫悟空に守られて?)三蔵法師が中国に持ち帰った大乗仏教とは異なり、セイロン島経由、海を渡ってきた「上座(じょうざ)部仏教」である。紀元前後に仏教が二つに分裂した際に、保守的・長老的な立場、つまりは日本風で言う上座(かみざ)の僧達に代表された方なのであるが、ここでは、それを、普通のミャンマー人庶民がどう信じて、何を重視しているかという点に絞って説明する。

「輪廻転生(りんね てんしょう: お釈迦様のように悟りを開いて仏陀とならないかぎり、永久に生まれ変わり続ける)」を固く信じており、現世に自分が人として生まれてきたのは、前世、それに相応しい行為をしてきたから。そして、来世に再び人に生まれる為には、現世において、それに相応しい、つまりは人間らしい行いに徹する必要がある。悪行を重ねた者を仏様が救ってくれて、浄土に連れていって下さることは、ない。自分の利益のために人殺しをすれば必ず「地獄道」に落ちるし、盗み等、他人を大いに困らせるような罪を犯せば、何千年も飢え続ける「餓鬼道」に落ちる。(私としては耳が痛いが、)欲に負けて飲み過ぎ・食べ過ぎをしていると、「畜生道」に(つまりは人間以外の動物に)生まれ変わる。争いごとばかりしていると、戦いしかない世界「修羅道」に、といった具合。そんな訳で、ミャンマーの人達は、無用な殺生は極力避けたいので、飛んでいる蚊を叩き殺すこともしない(しかし蚊取り線香は使うのだが)。

とはいえ、人間なので、つい悪いことをしてしまう。その償いのためもあって、益々お寺や仏塔にお参りし寄進するのだが。大事なことは、うっかりして、他人を悲しませてしまった罪は、お賽銭では駄目で、(同一人物でなくてもよいので)他人を幸せな気持ちにすることでしか、償えない。よって彼等は、会話の場を楽しく心地よいものにするべく精一杯心掛けるし、当然、笑顔を絶やさない。この精神が、普段殆ど意識されてはいないが、ミャンマー人の優しい国民性を下支えしている。もちろん、ミャンマーにも悪人はいるが、少ない。彼等の殆どを「極悪人」レベルに陥らずに踏みとどまらせているのも、仏教の教えであろう。これが、私が長年の観察から到達した結論である。

皆さまが、一度ミャンマーに行ってみたいと思って頂くか、或いは、ミャンマーの人達の優しさを真似てみたいと思って頂けたとすれば、誠に幸せである。

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