東南アジアの西端に、インド洋に面して、ミャンマーという国がある。そこには、日本の1.8倍の、多様な気候に恵まれた国土に、約5千万人もの、明るく優しい人達が、貧しいながらも微笑みを絶やさずに暮らしている。そして、多くの人達が日本に憧れ、日本との関係が更に深まることを、心から待ち望んでくれている。一方我々日本人も、皆で仲良く幸せに生きることを願うのであれば、ミャンマーから学ぶべきことが多い。

国民性

私は縁あって、1987年を皮切りに、4回、通算12年強ミャンマーに暮らしてきて、この国の人達を心から敬愛している。私の経験は主要民族ビルマ族(国民の約7割)の、都市部在住の仏教徒にかなり偏ってはいるが、他民族・他宗教の人達とも大いに知り合ったし、彼等の間の多少の相違点はあるが目立たず、共通した「国民性」と言えるものが確かにある。それについて申し述べることで、もし皆様に関心を持って頂けたならば、誠に幸甚である。

ミャンマーでは、幼い頃から長幼の序を重んじ、一歳でも年上なら、立場の上下優劣に拘わらず、きちんと敬意を表する。子供達は毎日就寝前に両親を拝み、成人しても親には従順。親も、何よりも家族の団欒を大切にしながら、自らが親から受けた道徳を子にしっかりと伝えていく。また、特に高齢者への敬老精神が徹底している。どんな小さな村にも、お寺とお坊さんがいて、貧しくて学校にいけない子供達に読書きを教えて、身寄りの無いお年寄りがいれば、面倒を見る。

ミャンマーの人達には、微笑みが良く似合う。おしゃべりが大好きで、常に相手の気持ちを慮り、場を盛り上げようとしてくれるので、彼等と話していると、楽しい。悩み事を打ち明けると、実に上手に励ましてくれる。逆に、気まずい雰囲気になるのは極力避けたいので、その結果、何かを頼まれた時に断るのが、大変な苦手。さりとて、オーケーとも言えないので、仕方なく笑ってごまかす。それが外国人には、しばしば、「快く了解してくれた」と誤解される。

ミャンマー語

実は彼等の話すミャンマー語は、文法上の仕組み(語順や助詞・助動詞の使い方等)、特に、否定の語(英語のNOTにあたる言葉)が文の最後近くに置かれること(往々にして、そのNOTも明確に言わずに、相手に察して貰おうとする)、敬語表現が豊富なこと等の点で、日本語にとても良く似ている。それが幸いして、我々日本人は、仮に最初は失敗しても、慣れてくると彼等の言葉と表情から真意を読み取れる素質が大いにある。(逆のケース、つまり、我々日本人の気持ちを察することが上手な人が多い。)

近代史上も、ミャンマーと日本とは関係が深い。現在のミャンマー国軍に繋がるビルマ(当時のミャンマー)独立軍は、太平洋戦争中の1941年暮れ、日本軍の援助の下にバンコクで設立され、1942年、日本軍とともに英領ビルマに侵攻した。日本軍の占領中、19万人もの日本兵が戦死した。ミャンマーの人達も死傷を含め甚大な被害を受けたのであるが、終戦間際の敗走途中に倒れた日本兵の多数が、ビルマの民家に匿われた。日本軍は散々身勝手なことをしたが、兵隊達との交流が、現在に至るまで、各地で、好意的な姿勢で語り継がれてきている。

戦後、食糧不足に悩む日本に、優先して米を輸出し、戦後賠償金の交渉では、他国の要求金額を大きく下回るレベルで真っ先に妥結してくれた。その後経済成長した日本は、頻繁にビルマへの最大のODA(政府開発援助)供与国となり、最近では、2016年11月、安倍首相が、5年で官民合わせて8千億円規模の支援を公約し、着々と実施されてきている。

高等教育で英語が多用され、ビジネスの世界では昔から比較的英語が通じ易いのだが、第二外国語の学習対象としては、日本語が圧倒的な人気である。国立の外国語学院(最大都市ヤンゴンと第二のマンダレー)の日本語学科だけでも毎年約80名が卒業するのだが、ヤンゴンには、それ以外に、百数十もの私立の日本語学校がある。毎年12月、多くの国で、国際交流基金及び日本国際教育支援協会による日本語能力検定試験が行われているのだが、最近のミャンマーでは2万人以上が受験しており、これはベトナム・タイに次ぐ第3位の多さ、との由。多くの若者達が、日本に親しみを感じ、期待してくれている証拠である。

一方で、実は、ミャンマー在住の日本人は、まだ2千人強程度。隣国のタイには、7万人を超える在留邦人がおられるし、ベトナムの約1万6千人と比べても、余りにも少ない。言い換えれば、日本人がミャンマーで活躍する余地が膨大にある、ということだ。

確かに、インフラ面、特に電力不足等や、法制度面で、まだ不安も多いが、着々と改善している。今は、ミャンマー経済や、歴史・社会・文化、そして法律関係(会社法、投資法)に関する本、また、美しい写真を含むガイド本も、続々と出版されているので、是非一度手に取ってみていただければと思う。また、昨今、少数民族問題で色々な問題を抱えてはいるが、それらは全て国境に近い、ごく狭い地域の事柄であり、国土の殆どでは、民族や宗教に関わりなく、皆が仲良く明るく暮らしている。それは、まずは一度ミャンマーを訪ねて頂ければ、たちどころにお判りいただけるであろう。

ミャンマー人の国民性の理由

さて、ここからは、上述のミャンマー人の国民性の理由について考えたい。まず、国土の半分を占める広い平地部で、米を中心とした食糧生産に適した土地に恵まれてきたことで、歴史的に、民族内の土地の奪い合いのための戦いが少なかったことを挙げたい。例えば現在でも、ミャンマーは、隣国タイとほぼ同レベル(2千5百万トン前後)の米を生産しているが、機械化が大幅に遅れ、また、統計によると、耕地単位面積当たりの肥料の使用は、タイの2割未満であるにも拘らず、単位面積当たりの米収量は、タイより3割多い由である。そういった、飢える不安が殆ど無かったという基盤の上で、各王朝の庇護により仏教が広まり、篤く信じられてきたことが、ミャンマーの人達の優しさと微笑みを支え続けてきていると考える。

写真は、ミャンマーを象徴する黄金の建造物「シュウェダゴン・パゴダ」。最大都市ヤンゴン中心部の丘の上にそびえる、全面に金を貼られた、高さ100mの仏塔である。また、11~13世紀に栄えた古都パガンには、3千もの仏塔が残って、引き続き信仰の対象となっている。ミャンマーの数え切れない仏塔や寺院は、王様が、自分の来世だけのために庶民に過酷な強制労働をさせて作ったのではなく、むしろ、庶民が、信仰心に基づき、お金や労力を進んで提供して作り続けてきた。現在でも、庶民の寄進が仏塔や寺院といた仏教施設を維持し続け、約50万人の僧侶達の修行を支え続けている。

ミャンマー人の9割が篤く信じる仏教は、(孫悟空に守られて?)三蔵法師が中国に持ち帰った大乗仏教とは異なり、セイロン島経由、海を渡ってきた「上座(じょうざ)部仏教」である。紀元前後に仏教が二つに分裂した際に、保守的・長老的な立場、つまりは日本風で言う上座(かみざ)の僧達に代表された方なのであるが、ここでは、それを、普通のミャンマー人庶民がどう信じて、何を重視しているかという点に絞って説明する。

「輪廻転生(りんね てんしょう: お釈迦様のように悟りを開いて仏陀とならないかぎり、永久に生まれ変わり続ける)」を固く信じており、現世に自分が人として生まれてきたのは、前世、それに相応しい行為をしてきたから。そして、来世に再び人に生まれる為には、現世において、それに相応しい、つまりは人間らしい行いに徹する必要がある。悪行を重ねた者を仏様が救ってくれて、浄土に連れていって下さることは、ない。自分の利益のために人殺しをすれば必ず「地獄道」に落ちるし、盗み等、他人を大いに困らせるような罪を犯せば、何千年も飢え続ける「餓鬼道」に落ちる。(私としては耳が痛いが、)欲に負けて飲み過ぎ・食べ過ぎをしていると、「畜生道」に(つまりは人間以外の動物に)生まれ変わる。争いごとばかりしていると、戦いしかない世界「修羅道」に、といった具合。そんな訳で、ミャンマーの人達は、無用な殺生は極力避けたいので、飛んでいる蚊を叩き殺すこともしない(しかし蚊取り線香は使うのだが)。

とはいえ、人間なので、つい悪いことをしてしまう。その償いのためもあって、益々お寺や仏塔にお参りし寄進するのだが。大事なことは、うっかりして、他人を悲しませてしまった罪は、お賽銭では駄目で、(同一人物でなくてもよいので)他人を幸せな気持ちにすることでしか、償えない。よって彼等は、会話の場を楽しく心地よいものにするべく精一杯心掛けるし、当然、笑顔を絶やさない。この精神が、普段殆ど意識されてはいないが、ミャンマー人の優しい国民性を下支えしている。もちろん、ミャンマーにも悪人はいるが、少ない。彼等の殆どを「極悪人」レベルに陥らずに踏みとどまらせているのも、仏教の教えであろう。これが、私が長年の観察から到達した結論である。

皆さまが、一度ミャンマーに行ってみたいと思って頂くか、或いは、ミャンマーの人達の優しさを真似てみたいと思って頂けたとすれば、誠に幸せである。