進出事例

「海外との競争の中でMADE IN JAPANにこだわりヒット商品を生み出した玩具メーカー」 ‐ 株式会社オビツ製作所

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オリジナル商品で存在感を発揮する葛飾区の玩具メーカー

おもちゃ産業のまちとして知られる東京都葛飾区。今でも日本を代表する玩具メーカーが立地しているが、オビツ製作所もその一つ。フィギュア、ドール分野で、愛好家の間で有名な企業である。同社が扱うのは主にソフトビニール製の人形で、キューピー人形やアニメキャラクターのフィギュアなど、様々な種類のフィギュア、ドールをOEM生産している。そのほか、同社のオリジナル商品として、オビツボディ、オビツキューピーなどを製造販売しており、精巧な作りとカスタマイズの容易さが愛好家の間では熱烈な支持を集めている。

高度成長期に玩具の輸出を目的に個人創業

同社の歴史は、そのままずばり、海外企業との競争の歴史である。そもそも創業した当初は輸出が目的であった。創業者の尾櫃三郎氏は勤めていた玩具問屋を退社後、それまでに培った貿易知識を生かして、1966年、葛飾区の地場産品である玩具を米国に輸出する業務を個人事業で始めた。周囲には単独では貿易ができない中小玩具メーカーが多かったため、輸出を伸ばしたいと考えていたこれらの企業が同氏の呼びかけに応じて集まり、商品を委ねてくれた。こうした輸出事業は順調に成長し、1970年、1971年と二度に亘り「輸出貢献企業」として通商産業省から表彰されるほど輸出を拡大することができた。そして、事業規模が十分大きくなったところで、1970年に、株式会社オビツ製作所を設立した。

1971年以降、突然のオイルショック、円高により輸出が落ち込むことがあったが、ちょうどその時期に日本国内で新装開店した大型リゾート施設から、施設内の売店で販売する商品を至急調達したいという相談を受け、お土産用のグッズの製造・販売を始めた。この時、新商品開発に尽力した結果、ソフトビニール製の人形やキーホルダー、孫の手などの実用品も含め多数のヒット商品を生み出すことにつながった。これがきっかけで同社の事業は玩具の輸出からお土産用グッズの国内市場へと市場を広げることができた。この新事業は輸出とは異なりコンスタントに収益を生むことができたため、この時期の同社にとっての救世主となった。

多種多様な玩具製品の輸出を手掛ける内に、国内外の売れ筋商品の予測ができるようになり、自社ブランドを開発したいと考えるようになった。はじめは海外の顧客の要望に応じて生産を地元メーカーに依頼して輸出する程度であったが、次第に自らデザインした玩具の商品化にも乗り出し、親しいメーカーに生産を委託して、やがて自社ブランドをつけた製品の輸出を開始した。そのようななかで、「ビニーボビー」という商品名の人形が国内外で大ヒット。このヒットで得た収益をもとに、1976年には新社屋を建てることができ、そこに念願の工場も併設することができた。

念願の工場建設を果たした直後に襲われた円高の波

1980年になると第2工場を建設。ソフトビニール製玩具の製造を手掛けるべく「スラッシュ成形」の生産ラインを導入した。スラッシュ成形とは、プラスチック成形の工法の一つで、溶かした樹脂を金型に流し込み、表面に付着した部分を焼成して成形するものである。塩化ビニルなどの加工に適しており、精巧な玩具を低コストかつ短時間で生産できる。一方、温度調節、原料注入、引抜きのタイミングと動作などで熟練の職人技を必要とするため、同社では、新たに採用した社員・職人を大切に育てていった。

こうして同社のソフトビニール玩具輸出ビジネスは、順調に成長していった。しかしその矢先、1985年のプラザ合意以降急激な円高に見舞われ、1990年頃になると欧米への輸出は激減してしまう。やがて廉価の中国品に国内でも価格で対抗できなくなり、受注量が大きく落ち込むことになった。

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