日本企業による対中投資戦略について
中国の「世界の工場」から「世界の市場」への転身に伴い、これまでの対中投資戦略を再考し、見直さなければならない時期が来ています。そしてその答えは、中国を工場としてみるか、それとも市場としてみるかによって、全く異なると言えます。
ほとんどの日本企業にとっては、膨大な中国市場を無視または軽視できないでしょう。中国で生産した製品を海外に輸出するというこれまでのビジネスモデルを、中国で生産して中国国内で販売し、ひいては海外(インドネシア、タイ、ベトナム等)で生産して中国に輸出するというビジネスモデルにシフトしてゆく傾向がますます強くなっています。
一方で、中国では、人件費の高騰が進み、労働力の確保が難しくなっています。また、PM2.5による深刻な大気汚染が社会問題となり、製造業向けの環境規制が一層厳しくなると予想されます。これらの影響を受けて、日系現地法人の中国からの撤退に関するニュースが多く見受けられます。これらのマイナス要素による打撃を吸収し、分散するために、中国政府は「法による国家統治(中国語では<依法治国>)」の政策を全面的に打ち出し、外商投資の関連法規を含む法整備を推進しています。また、「行政の簡素化・権限の委譲(中国語では<簡政放権>)」を幅広く実行し、数多くの行政審査・許認可事項を取り消し、又は下級の当局に委譲しています。これに加えて、習近平政権は、「トラもハエも叩く」として、2013年から大々的な腐敗撲滅キャンペーンを展開し、政治だけでなく、経済面に対しても大きなインパクトを与えています。
この流れに順応するため、これまでの中国投資及びこれからの中国投資について、より高い視点から全体像を把握し、新しい戦略を練る必要があります。無論、これは口で言うほど簡単な問題ではありません。法的な観点からいえば、これは中国への新規投資や既存投資の再編にかかわり、更にはこれに伴ういわゆるチャイナリスクも多く存在します。本稿は、日本企業による対中投資戦略を再検討するために、主に法的リスクの提示の観点から参考材料を提供することを目的としています。本稿が少しでもお役に立てば幸いです。
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1.許認可は依然として重要な問題
中国の「簡政放権」という行政体制改革の結果として、数多くの行政審査・許認可事項が取り消されています。そのうち、最もインパクトが大きい例として、最低登録資本金制度の廃止、登録資本の払込登記制から引受登記制への変更、企業年度検査制度から年度報告公示制度への変更等が挙がられます。但し、外商投資企業の設立、再編及び撤退に対する審査認可機関(商務部門)の許認可は、相変わらず避けては通れない問題として存在しています。日本企業による新規投資、既存現地法人の再編等(増資、減資、持分譲渡、合併、分割等)及び現地法人の解散清算の全ては許認可事項であり、主管商務部門の許認可を取得しなければなりません。また、固定資産の投資を伴う場合は、発展改革部門の審査確認も得なければなりません。
また、地方によっては、許認可の所要時間、必要な申請書類等が異なり、慎重に対応する必要もあります。契約事項の記載方法(例えば、コール又はプット・オプション条項や譲渡価格の調整メカニズムに関する条項の記載の可否等)から署名用のペン(例えば、油性ペンが使えるか否か等)まで、あらゆる点について予め主管の許認可当局に確認しておくことが望まれます。さもなければ、調印済みの契約書が許認可の段階で当局から修正を求められ、作り直さなければならなくなってしまうおそれがあります。
2.越境ECがもたらすチャンスと留意点
インターネット及びスマートフォンの普及に伴い、中国のネットビジネスはめざましいスピードで拡大しています。これは、中国の伝統的な製造業、販売業及びサービス業に大きな影響を与える同時に、中小企業を主とする日本企業にも大きなビジネスチャンスをもたらしています。中国の許認可等を危惧し、なかなか中国ビジネスに踏み出せない中小企業にとっては、中国で現地法人を設立せずに、インターネットを経由して、自らの商品を中国の消費者に販売することができます。この新しいビジネスモデルを支えるものとしては、日本の楽天や中国のTaobao(天猫国際)等の大手電子商取引企業もありますし、中小企業が自ら立ち上げた自社製品の販売を目的とするECサイトもあります。更に、一部の中小企業は、大手電子商取引企業の高額の手数料を回避するために、中国人個人と提携し、日本から中国個人に製品を郵送し、中国人個人が自分の名義でTaobao等において店舗を開いて、販売しているとも耳にします。(なお、中国人個人の名義を借りて、中国のTaobao等で店舗を開くことは、越境ECの範疇を超えており、中国国内での販売となります。厳密にいうと、中国での現地法人の設立、商品の販売に係る業務ライセンスを含めて、許認可等の手続きを行う必要があることに留意が必要です。)
中国の個人消費者に向けてネット販売を行う(いわゆる越境EC)日本企業は、今こそがチャンスかもしれません。通常の輸出販売と比べると、通関手続きがなく、製品表示等は現時点では日本語のままで特段問題ありません。比較的に低コストで、中国の市場を試運転することが可能です。なお、長い目で見るのであれば、中国向けの販売を行う前に、中国において商標登録を行うことをお勧めします。
一方で、越境ECは中国の消費者の権益、中国の外貨、通関及び税金のシステム等にも影響しますので、政府も積極的に動き出しています。中央から地方まで行政手続の簡略化を進めると同時に、全国各地で保税区の利用を推奨しています。また、「電子商務法」を含めた立法の作業も急いでいます。よって、現時点では製品表示等は日本語のままで問題ないですが、新しい立法の公布に伴い、将来どうなるかは不透明であり、引き続き注目する必要があります。
3.不動産バブルによる立退き
中国の不動産バブルは既に大都市から中小都市に波及しており、地方でも大規模な商業施設や住宅の開発が行われています。それに伴い、工業用地が商業用地や住宅用地に変更され、これにより、立退きの問題に直面している日系現地法人が少なからず存在します。
中国法上、政府は、企業の土地使用権及び建物の所有権を収用するときは、企業に対して公平な補償を行われなければならないとされています(「土地管理法」第58条及び「国有土地上建物収用補償条例」第2条)。しかし、実際には、地方政府との交渉により、金銭による補償や代替用地の提供等を受けて、うまく解決している日系現地法人が多くあります。一方で、地方政府との交渉がうまく行かず、工場が閉鎖され、供給責任が生じている日系現地法人もあります。更に、腐敗撲滅キャンペーンの影響を受けて、地方政府の責任者の更迭により、地方の土地開発計画が中止され、離れた場所に二つの工場を持たざるを得なくなったケースも散見されます。
工場の立退きリスクを完全に防ぐことはできませんが、進出時の事前の情報収集は非常に重要です。地方の開発区の管理委員会は、土地の開発計画等に対して権限を有しませんので、その一方的な説明を信じ込むことは非常に危険です。また、立退きを求められた場合には、外部の専門家を含めて、速やかに対応チームを立ち上げ、代替用地を探すと同時に、経済損失を計算しそれを裏付ける書類を準備することが、政府との交渉の観点から非常に重要となります。
4.関心を集める環境問題
これまで、中国の環境保護に関する規制や罰則は不十分であり、特に過料が少額で、企業にとっては環境対策をするよりも過料を支払う方がコストを低く抑えることができましたので、違法行為の是正や予防効果があまり果たせませんでした。しかし、近年、PM2.5による大気汚染や河川汚染等の深刻化に伴い、市民の環境意識、権利意識が高まり、環境に悪影響をもたらし又はもたらすおそれがある企業に対する反対運動が各地で報道されています。
市民の環境問題への関心にこたえるために、中国政府は、2014年4月24日に「環境保護法」を改正しました。同法は2015年1月1日から施行されています。新しい「環境保護法」は、行政による企業に対する監督管理を強化し、日割り罰金制度や直接責任者に対する拘留措置等を明記するなど法的責任を強化しています。また、環境公益訴訟(環境利益を守るため、自己の法的利益を侵害されたか否かにかかわらず、行政、企業等に対し、違法な行為の差止め、是正、環境損害の回復等を求める訴訟)制度も導入しており、今後更に注目する必要があります。
以上の観点から、中国に進出する際には、環境面を含めたフィージビリティ・スタディが必要となり、また、中国から撤退する際にも、土壌汚染等の問題が残っていないかを事前にチェックすることが肝要となります。
5.高まる権利意識と増加する労働紛争
すでに周知のとおり、2008年以降、「労働契約法」の施行に伴い、従業員を雇用する際に、従業員と書面による契約を締結しなければならず、企業側の都合により労働契約を解除する際には、従業員に対して勤務年数に応じた経済補償金を支払わなければなりません。労働問題は、新規進出、企業再編及び解散清算の各段階で、避けては通れない問題となっています。出稼ぎ労働者による集団的労働紛争や日系現地法人の撤退に伴うストライキ事件は、日本のメディアの注目も集めています。
特に中国から撤退する場合には、従業員問題の解決が前提条件であるといっても過言ではありません。法律上は、従業員の勤務年数満1年につき1ヶ月分の賃金の経済補償金を支払うという明確な基準がありますが、実務上は、当該法定経済補償金に「+α」を支払うことが通例となっております。当該「+α」をめぐる交渉は、非常に敏感で、難しい問題です。従業員と交渉する前に、予め会社案を作成し、主管の政府労働部門に事情を説明し、その理解と支持を得ることが重要となります。
プロフィール
日中間M&A、中国における外商投資企業の破産・清算、コーポレート等、企業法務全般を取り扱っている。主な著書・論文に、『図解入門ビジネス 中国ビジネス法務の基本がよ~くわかる本(第2版)』(株式会社秀和システム、2012年、共著)、「中国における合弁の解消戦略」(ビジネス法務、2015年3月号)、「中国のPE投資における評価調整条項の理論と実務」(国際商事法務、2014年8月刊)など中国における企業再編、PE投資、不動産等に関する数多くを発表している。その他、中国の企業再編、投資実務に関する講演多数。
公開日:2016年 4月 20日
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