インドネシアで事業を行う上で、リスクファクターとして注目すべきポイントの一つに、「労務問題」があります。労務問題と一口に言っても、いろいろな要素が含まれますが、特に注意すべき点を、いくつかご紹介したいと思います。
会社を運営にするにあたり、どのような人を採用して、教育していくのか、というのは、とても重要な点であることは、いずれの国、地域においても変わりありません。しかしながら、インドネシアゆえの難しさもいくつかあります。その一つが、管理職レベルの人材不足、および賃金の高騰でしょう。
インドネシアの人口2億5千万人弱のうち、約半数が労働人口となっています。しかしながら、その中で短大、大学を卒業している、いわゆる高学歴の人材は10%程度しかいません。そしてその中で日本語が可能な人材となると、本当に一握りの人たちです。日本語学習者が中国に次いで多いインドネシアですが、ビジネスである程度使えるレベルまで日本語を習得している人となると、限られてきます。加えて、日系企業での就労経験や管理職経験者などの条件を追加するごとに、該当者はどんどん少なくなっていきます。そういった人材市場ですので、おのずと転職率も高まり、賃金も労働者側の売り手市場となっていきます。
上記はアジアの主要都市での賃金を比較したものですが、労働生産性を考慮すると、割高感があるのがインドネシアと言われています。転職により、所得が下がるケースはほとんどなく、30%以上のアップで転職していくケースも少なくありません。
こうした市場において、採用活動においては、いかに自社の魅力をアピールしていくか、ということが重要になってきます。また、採用後も、何をどこまでがんばれば、どのようなキャリアが期待できるのか、ということを明確にしていくことも重要でしょう。中小企業の場合、組織が大きくありませんから、なかなか一社でキャリアアップをデザインしていくことは難しいとは思いますが、一定のスキルに到達した際には日本や他国での研修などを織り込み、給与以外でも社員を惹きつけていく努力が必要となってきます。
給与だけでなく、保険やローンなどの福利厚生についても、近年では転職の際の大きなファクターとなってきています。結婚したり子供ができるタイミングで、会社から何らかの補助や援助が用意されているなら、それは一つのモチベーションともなりうるでしょう。
労働契約
良好な労使関係構築には、労働契約、具体的には、個別に結ぶ雇用契約、就業規則、労働協約の存在が重要です。いずれも労働者と会社双方の権利と義務を明確にすることが、目的とされます。
就業規則と労働協約の違いは、法律に「就業規則は、経営者によって作成され、経営者の責任となる」という記述があることからも明らかなように、経営者側が主体となって定め る規定であることです。一方、労働協約は、経営者と労働組合間の合意事項を記載したものとなります。また、労働組合が存在しない場合には、作成できるのは 就業規則のみですが、労働組合が存在する場合には、労働組合の要請に応じて労働協約を作成することになります。ただ、要請が無い場合は、就業規則がそのまま運用 されます。
一つの会社において10人以上の労働者を就労させる場合は、就業規則を作成する義務があり、それを最寄りの管轄労働局に届出し承認を受けなければなりません。ただし、労働協約を作成している場合には、就業規則を作成する必要はありません。ま た10人を超えていない場合でも、労務管理の観点から作成する方がよいのは言うまでもありません。
労働組合
2012年ごろ、インドネシアでは労働組合運動が過激化し、工業団地が密集する地域を中心に、ストライキやデモが多数発生しました。時には会社の備品設備を破壊したり、会社経営者を軟禁するような暴力的行為に及ぶこともあり、「インドネシアの労働運動は怖い」と印象づけてしまった部分もあります。
ここで少し、労働組合について解説します。
労働者が契約社員か正社員かといった立場を問わず、10名以上の労働者が集まれば労働組合を結成することが可能です。極端な場合では、マネージャーが結束して、マネージャーのみを構成員として組合を結成することもできます。そして、一つの会社において、労働者が複数の組合に加入することはできませんが、一社内に労働組合が複数存在することは、認容されています。一社内における複数の労働組合が並存すると、対応に苦慮することになります。
労働組合の上部団体に当たる労働組合連合は、労働組合が5団体以上集まれば結成することが可能で、その更に上部の労働組合総連合は、労働組合連合が3団体以上あれば結成できます。つまり単純に計算すれば、連合は50人で、総連合は150人でも結成できるわけです。連合、総連合の結成に際して、その構成人数もさることながら管掌地域などの規定は皆無です。そのため、ある特定地域の小さな組合の寄せ集めで、労働組合連合や総連合が結成されるということが頻々と起きています。これについては労働組合側からも問題点が指摘されており、上部組織の連合や総連合を結成するための条件規定をより厳しくするよう見直すべきだ、という声が上がっているやに聞いています。
最下位に位置する企業内・企業外の労働組合は、原則として上部団体に所属してもしなくても構いません。近年の傾向として、結成当初から上部団体に所属するケースが多いようです。これは、組合結成がその会社内部からの必然的な要求というより、上部団体の積極的なアプローチによってなされるケースも少なからずあるようです。また、上部団体によっては、非常に攻撃的な傾向を帯びる団体もあります。資金力も兼ね備え、傘下の加盟団体に対して過激な労働運動を焚きつけるようなケースもあるので、自社の組合がどの上部団体に属しているかという点にも十分配慮し、対応を吟味する必要があります。
最低賃金と賃金上昇
最低賃金は、月額定額賃金が基準を満たしているかどうかで判断します。また最低賃金を適用してよいのは、当該会社内での勤続期間が1年未満の労働者に限ります。勤続期間が1年以上の場合には、労使間の協議案件の対象になります。
最低賃金の基本となるのは、適正生活必需額です。これは独身労働者が1ヶ月間に適正な生活を送ることができるための金額のことで、現在は各地域において、60項目の生活必需品の金額を積み上げて算出されています。この項目の数と種類の見直しは5年に一回なされるべきと定められています。この60項目ですが、2012年に労働組合側の要求をのむ形で、46項目からいきなり14項目追加となりました。現在労働組合は、さらに14項目を追加し74項目とすることを要求していますが、現行規定に準拠すれば、2017年までは項目の数と種類は現在のまま60項目となります。
これまで最低賃金の設定は、前述の最低生活必需額に基づいて労使双方の協議に基づく各地域の賃金審議会の提案をもとに、地方自治体(州、県、市)の首長が決定しており、そのメカニズム自体は今も同じです。しかし、政治的な駆け引きの中、審議会の提案から大きく外れた金額や、労使のどちらか(通常、組合より)に偏った金額となることも少なくありませんでした。こうした弊害を是正するために、2015年に発令した規定では次のような計算式と、範例が記載されています。
X:今年の最低賃金
A:前年9月から今年9月までのインフレ
B:前年第3四半期から今年の第2四半期までの1年間のGDP成長率
来年の最低賃金=X+{X(A+B)}
例) X:200万ルピア、A:5%、B:6%の場合
来年の最低賃金 200万ルピア+{200万ルピアx(5%+6%)}=
200万ルピア+(200万ルピアx11%=
200万ルピア+22万ルピア=222万ルピア
この計算式の数学的・統計学的根拠は何なのか、と考え始めると理解に苦しむところも多々あります。ただ、計算式に関しては、追って詳細が大臣規定において定められることになっていますので、それを待つことになるでしょう。経済成長率やインフレ率を、全国のものを用いるのか、各地域ごとの数値を用いるのか、といったことも不透明なままです。新規定における計算式はおおむね経済界には好意的に受け止められているようですが、かたや労働組合は反発を強めています。ジャカルタをはじめとした各地域で、最低賃金が定まりつつありますが、多くの地域でこの公式に準じた形で金額設定がなされているようです。少なくとも、昨年までのような20%、30%アップということは、どうやらなさそうな按配です。
外国人労働者に関わる許可
2015年は外国人労働者に関する法律が改正され、その改正法が6ヵ月後にはさらに改正される、という、混乱した一年でした。
就労目的でインドネシアに渡航する外国人を監督管理する省庁は、労働移住省と法務人権省・入国管理総局となります。海外では、米国におけるグリーンカードのように、ある一定の条件を満たすと、外国人であっても本国人と同様に居住し、自由に就労や就学できる許可制度があります。一方インドネシアでは、外国人が就労するには、スポンサーシップ、という独特な概念を指摘しなければなりません。すなわち、就労するには、労働を提供する法人すなわち会社(個人は不可)が存在し、その法人がスポンサーとなることで、初めてその会社で労働する権利が認められます。そして、その就労が前提となって滞在することが可能になるのです。
就労に関する部分を労働移住省が管轄し、入国と滞在に関する部分を入国管理総局が管轄しています。労働移住省は、スポンサーに対してある特定の役職において特定の外国人が就労することを審査し、許可証を発行します。一方、入国管理総局は、当該外国人が就労目的で一定の期間特定の場所に居住することを許可します。働いて滞在する許可は外国人個々に付帯するというよりも、まずはスポンサーとなる法人が存在し、初めて労働に携われ、居住が可能となるわけです。ですから「ちょっとインドネシアに行って働こうか」と安易に入国しても、自分を雇用しスポンサーになってくれる会社がなければ、事は何も進まないのです。
会社は、外国人を採用したい「役職」と「人数」、およびその期間を労働移住省に申請します。どんな会社でも許可申請ができるわけではなく、資本金など一定の条件を満たした会社に限られます。また、一時、「外国人労働者1名あたり10名の雇用」が義務付けられましたが、現時点ではこのような明確な人数比は規定されていません。そして外国人が就ける「役職」も、どのような役職であっても認められるわけではなく、「インドネシア人では十分に機能が果たせない」と判断された役職しか認められません。そしてそれは、経営者としての役職である取締役、監査役といった会社定款に記載されている役職か、もしくはその外国人が就労することで技術技能移転が期待できるスキルをもった役職のいずれかに限られます。単純に労働力を提供するような職種や簡単な監督職は外国人の役職としては、基本的には認められていません。続いて、その役職に就く外国人も、ふさわしい学歴や職歴を持ち合わせている必要があります。学歴については「大卒以上は許可されない」という時期がありましたが、現在はむやみに学歴だけで判断する傾向は薄れていますが、大卒未満の場合の審査が厳しいことには変わりはありません。また年齢についても、若すぎたり高齢だったりすると、それを理由に申請が却下される場合も少なくありません。
外国人は人事関連の役職には就けない、というのはすでに認知されている事項ですが、それは法律2003年第13号第46条(1)「外国人労働者は、人事を扱う役職および・もしくは特定の役職に就くことが禁止される」に基づいています。単にインドネシア人を扱う人事に、外国人を選任するのは不適当である、というのがその理由のようです。
プロフィール
1990年よりインドネシア在住。同志社大学神学部卒、インドネシア中部ジャワにある、サティヤワチャナ大学大学院開発研究科修了。修士課程終了後、インドネシアの日系医薬品メーカーおよび化学品メーカーでマーケティング、人事・総務に従事した後、2007年2月より現職。インドネシアに進出する日系企業の手続き関連の支援、人事コンサルティングなどを行っている。ジャカルタジャパンクラブ(JJC)の労働委員会メンバー。また、ジェトロ・ジャカルタセンター労務相談窓口担当として活躍。NNAインドネシア版にて「労務羅針盤」を執筆中。
公開日:2016年 4月 28日
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