
“世界の兆しを読む”は、世界各地で生まれる新しい動きや変化を伝える情報誌です。日本では大きく報じられなくても、将来のビジネスや社会に影響しうる「兆し」は世界中にあります。本誌では、海外で発信されるニュースや研究、現地の動向に目を向けながら、日本からは見えにくい世界の変化の兆しを探り、その読み解きを試みます。皆様のお仕事や事業のこれからを考える上での小さなきっかけとなれば幸いです。
今回は、「人と仕事を編み直す~ジョブギャップと各国の挑戦~」と題して、労働市場の課題を示す新たな指標を切り口に、各国の取組事例を紹介します。
*このレポートは2026年10月時点の情報であり、現在の状況と異なる可能性があることをご了承ください。
「ジョブギャップ(Jobs gap)」という指標が示すもの
国際労働機関(ILO)(※1)は2024年、新たな指標「ジョブギャップ」を公表しました。失業率では捉えきれない「活用されていない労働力」を可視化するもので、その規模は世界で約4億2千万人に上ると推計されています(※2)。能力や意欲を持ちながら十分な就業機会を得られない人々の存在を明らかにし、その解消を目指すための指標です。
興味深いのは、多くの国で人材不足が課題となる一方で、世界にはこれだけの未活用労働力が存在すると推計される点です。こうした状況と合わせて海外報道を読むと、各国で人材育成や仕事の設計、組織能力の在り方を見直す動きがあることに気付かされます。
本稿では、技能認証で人材の国際競争力強化を図るインドネシア、AIを活用して仕事の再設計を進めるシンガポール、豊富なIT人材を活かしグローバル企業のGCC(戦略機能拠点)として発展するインドの事例を通じて、能力と仕事を捉え直す各国の取り組みを見ていきます。
※1 International Labour Organization: 国際労働基準の制定を通じて、労働条件と生活水準の向上を目指す国連の専門機関。
※2 (出典)ILO, The Jobs gap: Measuring labour underutilisation beyond unemployment.
【解説】ジョブギャップという言葉について
ジョブギャップ指標は、以前使用されていた「労働力未活用(labour underutilization)」という表現が理解しづらいという評価を受けて、新たに定義されたものです。失業者に含まれる人以外にも、求職活動を諦めた人、すぐには働けないが就業希望を持つ人、労働市場との接点を失った人などが含まれています。
インドネシア ─ 技能を可視化し、世界につなぐ
インドネシア政府は、海外就労を目指す人材の育成策として、溶接、介護、ホスピタリティなど国際需要の高い分野に重点投資を行っています。実務訓練から国際認証資格の取得までを一体的に支援し、人材の国際競争力向上を図るものです。今年度予算においては、若年層向け奨学金型訓練制度に12兆ルピア(約1,050億円)、海外就労者向け技能育成プログラムに8兆ルピア(約700億円)が計上され、後者では既に50万人が全過程を修了しています(※3)。
国際労働市場では、技能を持つだけでなく、その技能を雇用主に分かる形で可視化することが重要です。ILOはこれを「技能の証明(skills signaling)」と呼んでいます。同国の取組は、技能と同時に国際的に通用する資格・認証を付与することで、労働者の能力を可視化し、国境を越えた活躍を後押しするものといえます(※4)。
※3 (出典)ANTARA, Indonesian Govt allocates Rp12 trillion for overseas job training, November 4, 2025
※4 (出典)OECD, Labor Migration in Asia, May 28, 2024
【コラム】技能の共通言語化を巡る動き
技能は、保有しているだけでは活かされません。雇用主や第三者に理解できる形に可視化されて初めて、評価や活用につながります。このような思想のもと、WEFは労働市場における技能の「共通言語」化を提唱し(※5)、EUではESCOというガイドブックを整備し、国際的な求人マッチングや教育訓練、移民の技能把握などに活用しています(※6)。アジアにおいても、技能の国際認証の必要性や、各国で取得した技能を共通の基準で評価するための基盤整備について議論が進みつつあるようです。
(参考)
※5.(出典)WEF, Building a Common Language for Skills at Work 2021.1
※6. EC, European Skills, Competences, Qualifications and Occupations (ESCO)
シンガポール ─ 雇用者変革を支える仕組みづくり
シンガポール雇用者団体SNEFは2025年、雇用者向けワンストップ支援拠点「ARCC」を設立しました。雇用の質を高めるには雇う側の変革が不可欠との考えのもと、人材育成、ジョブ・リデザイン(業務再設計)、戦略的人材マネジメント、雇用法制に関する経営助言やコンサルティングを提供しています(※7・8)。同国の特徴とも言われる政府・企業・労働組合の三位一体による協力体制が、企業変革を後押ししています。
こうした支援に加え、官民連携による企業変革も進んでいます。その一例が、政府機関DISG(※9)とGoogle Cloudによる「AI Cloud Takeoff(AI CTO)」です。AI CTOは、企業内にAI CoE(Center of Excellence)を設置し、AI活用を主導する人材や体制の整備、ユースケースの選定、実証実験(MVP)の開発を支援するプログラムです(※10)。AI活用を組織に定着させるためには、業務の見直しや人材育成、組織変革も求められます。こうした取組の前提として重視されているのが、自社にどのような技能があり、将来どのような能力が必要になるのかを把握することです。その根底には、仕事を構成する技能や役割を改めて見つめ直そうとする発想があります。
※7 (出典)MANIINFO, 2025 Singapore Employers’ Transformation, November 2025
※8 (出典)Business Times, How employers develop their workforce will determine how well they adapt to uncertainty, Nov. 4, 2025
※9 Digital Industry Singapore(DISG):シンガポール政府が2019年に設立したデジタル産業統括機関。人材育成、デジタル基盤整備、企業支援を通じ、シンガポールをアジア有数のテクノロジー拠点とすることを目指す。
※10 (出典)EDB (Singapore Economic Development Board) : Google Cloud, DISG Launch ‘AI Cloud Takeoff’ in Singapore November 17,2025
【コラム】ARCCと中小機構の「よろず支援拠点」
シンガポールのARCC*は、日本の「よろず支援拠点」に近い機能を持つ雇用者向けワンストップ支援拠点です。人事・労務・スキル転換・職場変革に特化し、人材育成やジョブ・リデザインを含め、中小企業の人材戦略全体を支援対象としている点に特徴があります。
*Advisory, Resource and Consultancy Centreの略。
インド ─ バックオフィスから価値創造の中核へ
人と仕事を編み直すもう一つの事例として、インドのGCCについて紹介します。GCC(Global Capability Center)とは、多国籍企業などが自国外に設置する機能特化型の拠点のことです。1980年代後半以降、コスト削減などを目的に、IT保守や経理、人事関連の定型業務を外部委託(BPO)する動きが広がりました。その後、品質向上や自社文化との整合性確保の観点から、運営体制は徐々に変化し、今日では専門機能を集約するCoE(Center of Excellence)、新技術の実装拠点、さらには本社と価値を共創する戦略的パートナーとしての役割まで担うようになっています。
現在インドには、約3,000のGCCが存在し、約190万人が働いています。世界のGCCの半数以上がインドに集中している背景には、生産年齢人口の厚さと豊富なIT人材基盤があると言われています。PwCインドがGCC活用企業を対象に実施した調査によれば、GCCが生み出す価値は、年率11~12%とされ、本社との意思疎通や課題共有の精度が上れば、更に14-15%まで向上する可能性があるとも紹介されています(※11)。 また、GCC経営者への調査では、成功の鍵として、情報共有の透明性向上、目指す価値や目標の明確化、部門や組織の垣根を越えた協働、そして成功体験や称賛の共有が挙げられています。GCCの発展は、企業が必要な機能や能力を基準に、仕事の担い手や組織の境界を見直し、人と仕事の関係を再構築し始めていることを示しているようです。
※11 (出典)PwC India, Catalysing value creation in Indian Global Capability Centres, June 2025
技能を可視化して、人と仕事を編み直す
本稿では、ILOの「ジョブギャップ」という新たな指標を起点に、インドネシア、シンガポール、インドの事例を見てきました。技能認証、ジョブ・リデザイン、GCCはいずれも異なるアプローチですが、その背景には、仕事を構成する技能や機能を捉え直し、人が持つ能力との適切な組み合わせを見いだそうとする、丁寧な「編み直し」の試みがあります。
世界経済フォーラム(WEF)は、必要な技能を事業上の優先度や変革課題に紐づけて可視化し、採用・配置・育成に通底する基盤として活用することを人材戦略の起点と位置づけています。これらの事例は、人材不足が続く日本においても、人と仕事をどのように編み直していくかを考える上でも、一つの手掛かりになるかもしれません。

筆者紹介

殿村 琴子
中小企業基盤整備機構 国際交流センター 国際交流支援専門員
生命保険会社にて資産運用業務、海外駐在(フランス)、法人営業、系列シンクタンクでの調査業務等を経て、2025年7月より現職。会議通訳としても活動中。
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