山形県は国内有数のニット産地で、1952年に創業した米富繊維株式会社もローゲージに特化したニット製品を生産している。中でも同社が得意とするのは、業界用語で『交編』と呼ばれる、複数の繊維を混ぜて編みたてる技術で、同社の特徴ともいえる異なる糸や素材を組み合わせたオリジナル性の高いデザインへと活かされている。

もともと同社は、アパレルメーカーのブランド製品を生産するOEMメーカーであったが、この技術の開発に力を入れ、30年ほど前には前社長の発案で『テキスタイル開発室』を開設している。これまでに蓄積されたテキスタイルの点数は1万点以上にも及び、その上、職人の手によって編機を動かすノウハウが蓄積された結果、複雑なデザインであっても量産が可能となっており、それが同社の強みとなっている。

しかし、高い技術力を持っていてもOEM生産では、生産量は発注側の影響を受けやすく、価格交渉力がないため利益率も高くなかった。また、開発を続けてきたテキスタイルについても個性的なデザインであるがゆえに発注元に選ばれることが少なく、日の目を見ることはあまりなかった。その上1990年代に入ると、中国など海外から安価なニット製品が国内に流入し始め、同社の経営環境は厳しくなっていた。

そのような中、東京でセレクトショップの店員をしていた現社長の大江氏が入社したことをきっかけに同社は、OEM生産だけでなく、自社が持つテキスタイル技術を存分に活かした自社ブランドの展開に着手した。そして、2010年、レディースニットブランド『Coohem(コーヘン)』をデビューさせた。

自社ブランドの営業の延長線上で初めて海外に出展

「Coohem」の立ち上げによって、これまでのOEM生産と違い、自らが販路開拓を行う必要があった。しかし、同社には、自社ブランドを展開していくノウハウはなく、開始当初は唯一販売経験を持っていた大江氏が営業全般を一人で担っていた。

一般的にアパレルメーカーの受注方法の1つに、自社で展示会を開催し、そこでバイヤーを招いて契約に結びつけるという方法がある。しかし、自社ブランドの立ち上げから間もない同社は、知名度が低いこともあり、自社の展示会にバイヤーを呼ぶのが難しく、なかなか受注が増えなかった。そのため、当初は国内で開催される合同展示会にも参加したり、直接百貨店のバイヤーにサンプルを持ち込むなどして少しずつ取引先を開拓していった。

その過程の2011年、当時はまだ国内で手一杯で、海外については考えてもいなかったが、たまたま業界紙の企画により、パリで開催される展示会に出展する機会を得た。これが同社にとって初となる海外での活動となったが、この時は海外からの受注獲得には至らなかった。しかし、パリの展示会に訪れていた日本のバイヤーの目に留まり、国内の販路開拓につながった。国内では呼ぶことが難しかったバイヤーが、海外の有名展示会には多く参加しており、さらに日本からの出展ということで注目を集めることにもなって、予想外の成果を得る事が出来たのである。

ニューヨークの大手セレクトショップからの受注をきっかけに海外展開を本格化

その翌年の2012年には、ロンドンに留学経験を持つ松岡氏が同社に入社。国内での販路が軌道に乗り始め、多忙な時期でもあったが、海外ビジネスにも魅力を感じていた同社は、ジェトロが実施する『バイヤー招へい事業』へ参加してみることにした。すると、ニューヨークでトップクラスのセレクトショップとして有名な『Jeffrey(ジェフリー)』のバイヤーの目に留まり、海外から初となる受注を獲得した。そして、自信をつけた同社は、Jeffreyからの受注を1度で終わらせたくないと考え、再び、海外の展示会に目を向けることにした。出展先として、Jeffreyのあるニューヨークかパリかに絞っていたが、費用対効果を考慮した結果、パリを選択した。

販売先はアジアを中心に世界に広がる

パリへの出展を選んだ同社だったが実際には、イタリアや東アジアのバイヤーから多くの注文が寄せられた。複数の糸を組み合わせたCoohemのデザインが、鮮やかな色を好むイタリアや、東アジアの人々に好まれたためであった。その上、東アジアの取引ではまとまった額の注文が入ることが多く、アジア市場について強い可能性を感じた。そこで同社は2013年、中小機構が実施する『F/S(海外ビジネス戦略推進支援事業)』を活用して、香港、台湾へ視察に行くことにした。この事業は、海外市場に活路を見出そうとする中小企業・小規模事業者の海外展開に向けた戦略策定や販路開拓を支援するもので、香港、台湾の新規取引先候補として、現地のセレクトショップなど40店舗近くを訪問することができた。

こうした取組の成果もあり、東アジアの売上は拡大を続け、現在では輸出全体の5割を占めるまでに成長している。過去には7割を超えることもあり、時には東京の百貨店に陳列されている同社の商品を見たアジアのバイヤーから直接取引の問い合わせがくることもある。

アジア市場が好調なことから「アジアの展示会に出展すればよいのでは」と言われることもあるというが、それでも同社はその後も継続的な出展先として、パリを選択している。パリへの出展費用は、会場利用料に渡航費などを加えると高額な支出となり、同社への負担は少なくない。しかし、出展を続けるのは、たとえアジアのバイヤーであっても世界のファッションの中心であるパリの展示会には必ずといってよいほど参加するため、宣伝効果が大きいと考えているからである。さらに出展を続けてきた結果、自社ブランドの知名度が上がって海外だけでなく国内の受注にもつながっている。

海外展開で苦労したこと

海外事業を進めていく上で最も苦労したのが契約や輸出に関する様々な手続きの問題であった。そもそも自社ブランドを始めたばかりだった同社には、海外ビジネスを担当できる人材はいなかった。2012年に入社した松岡氏にしても英国への留学経験はあるものの、もともと貿易の実務についての知識があったわけではなかった。そのため、JETROのセミナーに参加したり、専門家からアドバイスを受けたり、海外出展している同業者に教えてもらうなどして、1つ1つ覚えていった。

現在でも海外事業を担当するのは松岡氏ただ1人だが、海外ビジネスなどを通じて自社ブランドの知名度が高まった結果、イタリア人留学生が同社に魅力を感じて入社してくれた。イタリア語と日本語に加えて英語も堪能な彼に、近い将来海外事業を担えるまでに育ってもらいたいと期待している。

もう一つ苦労したのが、資金回収の問題であった。これまで海外の取引先との交渉を担当してきた松岡氏によれば、『お金だけは絶対に譲ってはいけない』と言う。

海外ビジネスを始めた当初、相手の人柄や、言葉を信用して入金前に商品を送ることもあった。時には、海外の有名店との取引成立を焦るあまり、自社にとって不利な条件にも応じることもあった。しかし、商品を送ると、相手から支払いがなく、連絡すらとれなくなることもあり、中には、いい宣伝になるから無料でいいだろうと支払を断ろうとする店舗もあった。そのため、海外の店舗まで督促に行ったり、他にも公的機関に相談して情報収集を行なうなど、代金の回収ために手間や費用がかかることも多かった。

幸いなことにこれまで未回収となった例はないが、度重なる苦労の結果、今では有名店であっても、前金として代金の一部を、船積み前に残りの全額を支払ってもらうという自社のルールを取引の条件にしている。そのため、仮に受注後にキャンセルになったとしても相手の手元に商品が届くことはないようにしている。

今後の海外展開について

国内のアパレル産業は、百貨店を中心に国内需要の減少や海外製品の流入が続き、厳しい環境となっている。そのため、同社も今後はCoohemの輸出を大きく伸ばしていきたいと考えており、既存の取引先からの受注量の拡大やこれまで取引のなかった地域への展開を模索している。

いくつかのアイデアとして、例えば、東アジアの国の中では、既に独占的販売店契約を結んでいる企業もあるが、それを他の地域にも広げていきたいと考えている。そうすることで、ある程度受注規模の大きな取引が期待でき、受注の安定につながると考えている。

また、これまで取引のないロシア、中東などの市場を開拓していくために、市場調査を兼ねて海外のファッションブランドのECサイト「Farfetch(ファーフェッチ)」への出店も始めている。これによって、どの国からアクセス数が多いのかをデータ化することができるため、例えばロシアのアクセス数が多い場合は、ロシアに営業を行うことが可能になる。

「海外というのは雲の上の話のようなイメージを持っていたけれど、やろうと思えばやれた」と松岡氏が話すとおり、偶然はじめた海外事業が、今では同社の希望の光となっている。

プロフィール

海外営業 松岡 奈緒子 氏

海外営業 松岡 奈緒子 氏

米富繊維株式会社

所在地  山形県東村山郡山辺町大字山辺1136
創業    1952年
資本金   6,300万円
従業員数  59名
事業内容  ウィメンズ、メンズニット製品の企画、製造、販売
電話番号 023-664-8166
URL   http://www.yonetomi.co.jp/