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海外拠点設立方法

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創業から銀座で半世紀弱の歴史を持つ理容店

理容店の銀座マツナガは、1968年7月、同社社長である松永 巳喜男氏が27歳の時に東京の銀座中央通りに開業したことに始まる。「お客様と感動を」を経営理念とし、理容サービスの内容は、一般的な理容店と同じくヘアカット、シャンプー、蒸しタオル、シェービング、マッサージとシンプルながらも、お客様目線での丁寧な施術で、現在、従業員数95名、店舗数では、銀座、八重洲、日本橋、新橋、浅草、新宿の他、海外の姉妹店含め約20店舗を展開する理容店へと成長している。

理容業は、元々個人経営の店が多い業界であるが、経営者の高齢化や後継者の減少、規制緩和による男性の美容室利用の増加、ヘアスタイルの多様化による若年層を中心とした理容店離れなどにより、1985年の14万4,939店舗をピークに店舗数を大きく減らしている。理容師の成り手も減少しており、文部科学省が毎年行っている学校基本調査によると、1986年には3,362名だった理容学校卒業生は、2016年には664名となっており、この30年の間に約5分の1にまで減っている。

同社はこうした中で、有限会社として法人化し、需要の旺盛な都心部を中心に店舗展開を図るとともに、これまで松永社長の下から独立した弟子たちの店も含めて毎年60名近くの新人理容師を採用・育成しながら営業している。

食肉加工品の独自開発で食肉業界を生き抜く

シェフミートチグサの前身は、現代表取締役である鴨狩 弘氏の父親 友允氏が1964年に千葉市花見川区に創業した「千種精肉店」である。創業当初は、個人商店として食肉の小売りが中心であったが、次第に業務用卸の割合を増やし、1996年には現社名の有限会社を設立して食肉加工品の製造を開始、2003年に株式会社に改組して現在に至っている。

価格競争の激化など、経営環境が厳しさを増す中、同社はこれまで自社ブランドの開発に力を入れてきた。2008年には千葉県の経営革新計画の承認と地域産業資源活用計画の認定を立て続けに受け、2015年には千葉大学発ベンチャー企業との連携による新商品開発に取り組むなど、精力的に製品の多様化と高付加価値化に取り組んでいる。なお、現在は弘氏の長男の大和氏(専務取締役)が弘氏の片腕として商品開発、海外事業を中心に活躍している。

北海道で40年近くの歴史をもつ老舗ベーカリーの事業を引き継ぐ

ブルクベーカリーは、1977年、北海道江別市で、パン職人だった竹村克英氏が、本格的なドイツパンを製造・販売する店として開いたのが始まりで、その後、1986年に社屋および本店を札幌市中央区円山に移した。防腐剤や着色料などの添加物を使わず、北海道産のオリジナルブレンドの小麦粉を用いて、工程のほとんどを機械に頼らずに手作業で作り上げていくパンは、多くの札幌市民に愛され、根強いファンを持つ。現在は、札幌駅前のデパートにも売り場を構えるなど、市内で5店舗を展開している。

順調に事業を拡大し、多くの弟子を育ててきた竹村氏であったが、年齢が70歳を超えた頃から、次第に自分の引き際を考えるようになった。しかし、自分には後継者がいない。育ててきた弟子たちは、技術はあるが経営のノウハウがない。考えた末、店を閉めて、自社が持つ本店の土地・建物を処分することを決意した。その際に知人に紹介されたのが、札幌市内で不動産業を営み、現在のブルクベーカリーの社長を務める丹山東吉氏である。

創業80年近くの老舗顕微鏡メーカー

協和光学工業は、戦時統制下にあった1940年(昭和15年)、東京・杉並区で顕微鏡の部品の製造を開始した。終戦後すぐに、細胞や細菌をプレパラート標本にして観察するための生物顕微鏡の完成品を製造するようになり、やがて戦後復興の好景気に乗って、対象物をそのままの形で観察できる実体顕微鏡の分野にも進出。業界内でいち早くステレオ(双眼)顕微鏡の製造に成功すると、日本の大手光学メーカーに続く形で、ステレオズーム顕微鏡を完成させた。その後も新たな技術の習得と研究開発に努め、金属顕微鏡、偏光顕微鏡と扱う光学顕微鏡の種類を次々と増やしていった。

一方、精密機械製造業の検査工程で実体顕微鏡が使われるようになると、同社もこの工業用分野に進出。近年は、半導体の製造現場などでマイクロ単位での加工が求められるようになり、製造工程でも顕微鏡が必要となってきた。そのため、製造装置に組み込むレンズ部分を光学ユニットとして納品する仕事が次第に増えている。同社の顕微鏡は、KYOWAブランドとして、現在も全国の数多くの小中学校の授業などで使われている。しかし、海外製品との価格競争もあって顕微鏡としての売上は徐々に減少しており、今では光学ユニットの売上が、全体の8割程度を占めるまでになっている。

こだわりの弁当・惣菜でチェーンを展開

持ち帰り弁当や定食屋レストランを運営するアイチフーズは、1981年に、現社長である森谷明弘氏が札幌市で設立した。当初は、全国チェーンのフランチャイジー(加盟店)として、寿司や弁当、おにぎりなどのテイクアウト店を運営していたが、チェーン本部が弱体化してきたため、約3年で脱退。その後は、蓄積したノウハウをもとに、自社ブランドの立ち上げや買収などで、持ち帰り・宅配弁当チェーン「ベントス」、和食レストラン「定食屋ジンベイ」や蕎麦処「はまなす」など次々と新たなブランドを展開し、事業を拡大。現在は北海道内を中心に直営とフランチャイズで約35店舗を展開・運営している。

海外9拠点、全て独自資本で進出

電子部品と半導体向けに絶縁材料と導電材料を製造するナミックスは、海外に9カ所の販売・生産・開発拠点を持ち、積極的に海外展開を進めている。現在、米国と欧州、シンガポール、韓国、中国、台湾に販売拠点を、中国と台湾に生産拠点を、米国に開発拠点をそれぞれ有する。いずれも「意思決定を迅速化する」(小田嶋寿信社長)ため、全額出資で進出している。

2001年3月期の売上高は130億円で海外売上高比率は31%だったが、10年3月期に国内と海外の売上高比率が逆転した。15年3月期の売上高は250億円で海外売上高比率は71%と海外展開を加速している

檜工業は、産業用向けが主力の空調周辺機器メーカー。天井や壁面に設置する冷暖房の吹き出し口・吸い込み口や、空調の換気・気流調整・防火・防排煙用のダンパーなどを製造している。建設・設備会社を通じて、トヨタ自動車など自動車メーカーの塗装・組み立てラインや、製薬や食品、製鉄工場などに納品している。ダンパーは500度Cの環境下で使用可能な耐熱性を高めたものや、気密性に優れ、細かい気流コントロールができる製品を得意とする。

このほか、オフィスビルやホテル、ショッピングセンター、官公庁など工場以外にも納入しており、さまざまな業種で利用されている。また、吹き出し口は、鉄、アルミ、ステンレスに加えて、88年からは檜や杉、スプルース材を使った木製タイプの製造を開始した。東北地方の和風旅館で全部、木製で作りたいという話があり、その要望に応える形で始めた。神社や仏閣、旅館の和室向けに使われている。林泰博社長は「お客様の特殊な要望にあわせて、設計から材質選定、塗装の仕方、シャフトの太さなどを決めて、作りこんでいる」と話す。2015年8月期の売上高は約6億円。

HIVEC(ハイベック)は、2003年に広島の地場自動車部品メーカーが共同出資して設立さらた。自動車をはじめとする輸送用機械の内外装部品のデザインと設計、試作を手がける。広島地区の部品メーカーの技術力を持ち寄り、広島地区以外のさまざまなメーカーとの取引拡大をめざして設立された、大志を背負って生まれた会社である。

順調に業績を拡大する中、海外進出したのは13年。インド南部のチェンナイにある設計会社を買収し子会社化した。15年12月にはインドネシアに子会社を設立し進出した。いずれも全額出資で、自動車部品の設計を主業務とする。今後の自動車市場の伸びが新興国に移ってくるとの見通しのもと、中期的な経営計画に沿って会社を設立したものだ。自動車関連の設計会社でインドとインドネシアの両国に拠点を持つのは同社だけという。その取り組みが注目を集めている。

中国・インド・アセアンのほぼ中心という抜群の立地に位置するバングラデシュは、1億6千万人の人口を抱える世界第7位の人口大国です。豊富な若年労働者・人件費の安さを活かした生産拠点として、また2015年には低中所得国入りを果たすなど、年平均6%の安定したGDP成長を続ける期待の消費市場でもあります。

インドネシアで事業を行う上で、リスクファクターとして注目すべきポイントの一つに、「労務問題」があります。労務問題と一口に言っても、いろいろな要素が含まれますが、特に注意すべき点を、いくつかご紹介したいと思います。

2011年の総選挙以降、ミャンマーへの関心が高まり日本企業のミャンマー進出が加速しております。それまでは軍事政権であり、政府には徴税・国民には納税意識が低かったので税法はあるにはありましたが、ほとんど機能していませんでした。税法自体が昔の英国法に準拠しているため時代にそぐわななっており、2012年以降は頻繁な法律変更で専門家でも戸惑うことが多々あります。またミャンマーと日本では未だ租税条約も発行しておらず、日本からの進出に関して駐在員の個人所得税において特に注意が必要です。(将来の課税リスクを回避しておく必要があります)

私が駐在しているインドネシアにおける事業展開について、法務の側面から説明をさせていただきます。
海外への事業展開は、インドネシアに限らず、進出前の準備段階、拠点の設立段階、拠点設立後の事業運営段階に大きく分けることができます。そこで、以下ではそれぞれの局面において、インドネシアの法制上どのような点に留意が必要となるかについて主要なものを中心に見ていきたいと思います。

ヤシマは自動車用バッテリーの液口栓(キャップ)を中心に樹脂成形品、各種電池部品を手がけている。2013年1月にタイ進出し、全額出資子会社のTHAI YASHIMAを設立。同年6月から現地で液口栓を主体に電池部品を生産している。

液口栓はプラスチック部品やゴムパッキンなど四つの部品で構成されている。ヤシマは本社工場に完全自動化された24時間無人生産ラインを持ち、タイでも自動化に取り組んでいる。すでに一部自動化を実現しており、プラスチック部品を生産する射出成形機は24時間無人で稼働しているという。

タイでは4月に材料供給、射出成形、製品搬出、保管、梱包(こんぽう)までを一つとした液口栓用製造ラインを1ライン増設し、合計で4ラインとする予定。箕浦裕社長はライン増設で「生産量が3割アップする」とみている。

長期保存できる「パンの缶詰」で知られるパン・アキモトは、焼きたてパンの製造・販売でベトナムに進出した。2015年1月に現地企業などと合弁企業「パン・アキモト ベトナム」を立ち上げ、同8月にはダナン市内に店舗兼工場「ゴチパン」を開設した。「熟成されたおいしいパンと、おもてなしの心を持つ日本のパン屋を現地に根付かせたい」(秋元義彦社長)との思いがあるが、それだけではない。現地の人たちに日本式のパンの製造技術を伝授し、ベーカリーとしての「独立起業」を支援する狙いを持つ。ベトナムは旧フランス領でフランスパンなどは食されているものの、柔らかくて甘めのパンは少ない。同社は「ゴチパン」を足がかりに人材を確保、外国人実習生制度を活用して、本社での3年間の実習も2月にスタートさせた。

コストメリットで最初に中国進出

ノイズフィルターコイルメーカーのウエノ(上野隆一社長)は、トロイダルコイルの巻き線業として1982年(昭57)に創業した。コイルの巻き線は人手に頼る作業が一般的で、「いかに安く作るか」の視点から1990年に中国へ進出した。スタートは安く作るため、労働力の豊富なところでの生産で競争力を得ることにあった。ただ現在の市場はアジアを中心とする新興国がターゲットだ。海外での「地産地消」をにらんだ市場開拓が進んでいる。2014年にはタイにも工場進出した。国内はじめ海外でも生き残るためには、絶え間ない技術革新を強く意識する。自社開発した次世代コイルとなる「ウエノコイル」は、市場開拓の新たな武器に育ちつつある。